締め付け

母親の締め付けがすごい

 

なんかあったら命令、文句

 

なんかあったら命令、文句

 

たばこのことやら、生活のことやら

 

離れるしかない

 

もうきつい、しんどい

 

合わせるの無理(ヾノ・∀・`)

 

なんか知らんけど不機嫌だし

 

一緒に住むの無理無理

 

怒られるの怖いから従っちゃうけど

 

そんな恐怖政治はイヤだ

 

抜け出したい

新 ギャンブル依存症克服物語②

その友達は、逃げるときに、僕のカードゲームのデッキも盗んでました。

 

ぼくは、母親にそのことを相談したのですが、喧嘩していた友達を普通に家に呼び入れたところを、友達がピンポンして勝手にやってきたということにして話しました。

 

すると母親と担任の先生は私が嘘をついたということに怒りました。

 

子ども心に嘘ついたのは悪かったけど、友達に噛まれたぼくの気持ちや、カード盗まれたぼくの気持ちはどうなるの?と思いました。

 

ここがぼくの母親への不信感のはじまりだったかもしれません。

 

小学生のころは、一人で家で過ごすことが多く、一人家でテレビドラマのフードファイトをみてたら、長嶋茂雄の病気のテロップが流れてびっくりして、働いている母親へ電話してみたりしたのを覚えてます。

 

あとひとつは、学校から帰るとたまたま野球の西武戦がやってて、その時はなぜか応援に力が入って、松井稼頭央の打席で、ホームラン打てー頑張れーと全力で応援したら本当にその打席でホームランを打って興奮したのを覚えてます。

 

これが後のギャンブルにつながる、興奮の第一体験だったと思います。

新 ギャンブル依存症克服物語①

父親はアルコール依存症だった。

小さい頃にぼくと兄は殴られてたらしい。

ぼくは覚えてなかったけど

兄は覚えてたかもしれない。

 

小学生の頃は、よく兄と喧嘩した。

喧嘩といっても、ぼくが一方的に殴られるだけだったけど。

 

兄が強い技見つけたって言って、ひたすらかかと落としをしてきたことがあった。

まるでゲーム感覚だ。

人は殴っていいと本気で思ってたらしい。

 

そんな日々に耐えられなくなったぼくは、

ちょっと兄を脅かす気持ちで、刃物を手に取った。

本気でやるつもりはなかったが、本心はどうだったか子ども心にはわからない。

そんなぼくをみて、兄は逃げていった。

それからは、身体への暴力は無くなっていったと思う。

 

小学生の頃のぼくは、なにもせず、グータラして、学校から帰ってきたら、テレビをみながら、家のおかしを食べる。そんな子だった。

 

一度、野球のクラブに入りたいと、親にお願いしたことがあったが、親が夏休みとかクラブの手伝いに参加しなければならないからダメだと言われた。

ぼくもそんなに本気じゃなかったので、あきらめた。

 

小学三年生の頃には、仲の良い友達が2人できて、学校から習った知恵で、三人寄れば文殊の知恵と言っていた。

 

そんな三人組も詳細には覚えてないが、一人は喧嘩別れ、もう一人は自然と別れていきました。

 

そして、小学4年か5年生の時に、先ほどの喧嘩別れした友達一人とまた遊ぶことになりました。

その友達はぼくの家にきて、ゲームをはじめると、途中でぼくに噛みついてきました。どうやって追い払ったのかおぼえてないですが、友達は逃げていきました。

 

 

ぼるてーじ

最近、いろんなことにやる気が出始めてきた。

 

張り切りすぎるのもよくないが、無気力になりすぎるのもよくない

 

ちょうどいいバランスで、いつものごとく、かっ飛ばしモードにならないように気をつけて生きていこう。

傘の思い出

ずっとビニール傘でいいやというタイプだった。

 

しかし、とある時、しゃれてる傘を買ってみた。

 

ちょっと気分が上がった気がした。

 

残念ながらその傘は壊れて、いまは壊れたビニール傘が自分の傘になってるんだけど

 

傘はパクられるから、ビニール傘でもいいかと思っている自分もいる。

ギャンブル依存症克服体験談をもとに会話ベースで小説風に仕上げてみました。