YouTubeで仏教の長老が語っている動画をみた。
生きることは、むなしい、苦しい。
最後は死です。
苦しみを作ってるのは自分なんです。
と言っていた。
ずっとむなしさをどうにかしたかった。
苦しさから解放されたかった。
むなしくない人生、苦しくない心があると思ってた。そこを目指してきた。
いつか色紙に、生きる意味は、真剣に生きるためと書いたことがあった。
悩みに真剣に向き合えばいつか解決するときが来ると。
しかし、生きることがそもそもむなしいもの。苦しいもの。と捉えた時、人生というものを受け入れられた気がした。
長年の疑問、なんで生きることは、こんなにむなしいんだ。苦しいんだ。その解が見つかった気がした。
答えはいつも足元に。
これは僕が思いついた言葉だが、答えはこんなところにあった。そもそも人生がむなしいもの、苦しいものだった。そもそも論。
ネットで見てる人たちが楽しそうにしているのをみて、この人たちは生きるのが苦しくないのか?なんで俺の人生は苦しいのか?なんて思ってたけど、苦しみは自ら作り出していただけだった。苦しみに向き合っていた。
齢32にして、気づいたり。