裏エンディング

ギャンブルに、なかば中毒になって苦しい思いをした、本当の孤独も感じた。

 

ギャンブル依存症だと診断されて、絶対にギャンブルやめなきゃと思い、治療を頑張った。

 

生き方自体を変えていって、失敗して立ち上がっての繰り返しだったけど、五年間ぐらい頑張った。

 

入院が10回目ぐらいの時に、病院の保護室でもう駄目だと思うほど苦しんだ。もう無理だと思い、神様助けてくれと心の底から願った。

その瞬間に、心の底では1ミリも神様を信じてない自分に気づいた。そして仏に救われた気がした。なにから救われたのかは分からないけど、とにかく心が救われた気がした。

 

そのすぐ後に、両親への感謝が心の底からわき上がってきた。父さん母さんありがとうと涙を流しながら歌っていた。

 

感謝はその時だけで、今はそんなに感謝できてないのかもしれない。

 

統合失調症の症状まっただ中で、この救われた出来事がその症状だっただけの可能性もあるが僕には確かな現象だった。

 

この出来事は、僕の中で、どこから思い付いたのか、他力本願 あみだ様と呼んでいる。なんとなくあみだ様に救われたという実感があった。

 

世の中100%信じれるものってなかなか無いと思うけど、この出来事であみだ様を信じる気持ちが100%混じりけの無い疑う余地もない心になった。

 

あとあと調べてみたら仏教で阿弥陀仏の本願っていう教えがあって、自分が体験したのはそれなのかなとも思った。

 

いろいろ調べてたら思い当たる節もあるし、その出来事以降、以前は怖いと思っていた死も怖くないし、今はなんか心の中の視界が明るい気がして、こうなった今振りかえると、いままでは暗い心で生きていた気がした。それが無明ってやつなのかなとも思った。

 

阿弥陀仏の本願に救いとられると本当の幸せになれる、生きていて良かったと思える幸せになれるとYouTubeでは言っていたが、僕の場合は、その救われた時だけ幸福や感謝を感じて、時とともに普通の現実になっていきました。確かに心の視界は明るいけど、相変わらず悩みはあるし、生きていて苦しいこともあるし、人生うまく行かないしって感じです。

 

親鸞いわく煩悩は残ったままだそうなので、生きているうちはこの苦しさは消えないと考えるとなんかやりきれないなぁって感じです。

 

なんか死んだ時に悟って往生できるらしいんですが、人生まだ長いし、この生きてる間の苦しみもどうにかしてほしいって感じです。

 

仏教では、死んだらどうなるか分からない暗い心を解決することが、人生の一大事であり、救われることがゴールみたいに説明されてますが、自分としてはまだ人生は続くのでゴールしたって気分にはなれないです。さらなる隠しエンディングがあるんじゃないかと思って日々成長しようとしています。具体的には、どんなことが起こっても揺れないメンタルになりたいです。

 

こんな自分の不思議体験を最後まで読んでくれてありがとうございました。

 

 

ギャンブル依存症克服体験談をもとに会話ベースで小説風に仕上げてみました。