ギャンブル依存症になるまで⑲石川編

知り合いに助けてもらうためにタクシーでむかった僕は、1時間半ぐらいして知り合いのもとへたどり着きました。夜の12時ぐらいだったのですが、タクシー代も払ってくれて泊まらせてくれました。その時の僕は気分もどん底に落ちていて孤独でした。アルコールをずっと飲んでいた反動もあるのかもしれませんが、隣に誰かいても心は孤独な状態でした。自分になかで本当の孤独というものを体験した気がしました。

そこから三日ぐらい泊まらせてもらいました。知り合いの人が親と連絡をとってくれたのですが、父親は絶対に帰ってくんなとのことでした。知り合いの人は、そのことを僕たちにはわからない深い愛があるっていましたが、僕にはこんなに苦しいのに助けてくれないことにどこが愛があるのだろうと思っていました。

三日目ぐらいに知り合いの人に、3万貸すからこれで行き先をみつけろ、金はいつでも返しにきていいといわれました。僕にはやっかいものだから金を渡すからどっかいってくれという風に感じました。そっからすぐにすぐに働き口を探して知り合いの家をでました。

働き口の面接が終わった後、石川県行きのチケットをもらったあとは、住むところと働くところが決まった安堵感で、もらった三万円でパチスロを打ってました。

石川県で働くところは携帯の中の精密な部品を作る工場でした。もうすでに働ける心理状態ではありませんでした。夜になると携帯でオルゴール音を聞いて心が壊れそうな感覚を感じていました。飯ものどを通らなくなり、それでもスロットを打ちに行ってました。

自殺も考えましたが、そんな勇気もなく、スマホを売りお金にしてただ精神を安定させるためだけにスロットを打っていました。きついながらにスロットがドラッグみたいな精神を安定させる行為になっていることを感じていました。

そしてゆくあてもなくふらふらと歩き、石川県の真夜中の知らない公園でもうだめだとおもいました。心の中は誰も信用してない状態で、母親に電話をしました。これがむりだったらあきらめよう。どうせ助けてくれない。そんな心理状態でした。

そしたらおかねを振り込むから福岡に帰ってきなさいといってくれました。そうしてお金を振り込んでもらったお金も全額と言わないまでも携帯ゲームの課金につかってしまたのでくるっていたとしか言いようがないです。そうして交通費はなんとか残すことができたので福岡に帰るのでした。。。続く

まとめ

ギャンブル依存症克服体験談【まとめ】 - ギャンブル依存症克服、彰悟のブログ

ギャンブル依存症克服体験談をもとに会話ベースで小説風に仕上げてみました。