ギャンブル依存症の治療の過程①ばあちゃん家編

ボロボロの状態で福岡に帰ってきた僕は、迎えに来た母の車の中で、兄と妹が家に帰ってきてほしくないと言ってることを伝えられました。

こんなにボロボロになるまで頑張っても受け入れてもらえないのかという気持ちでショックでした。家から見放されて、捨てられたいう感覚を受けてから家族への執着がよりいっそう強いものになっていました。

母は家に帰れない代わりに、母方のばあちゃん家に僕を住まわせることにしました。ばあちゃん家はばあちゃんと叔母が田舎のほうで暮らしていました。

田舎だったのでやることもなく図書館にいったりして過ごしていました。最初はよかったのですが、ギャンブルやアルコールからの離脱症状からかだんだん眠れなくなって、体がおかしいとか耳がおかしくなってるとかおかしなことを言いだすようになりました。

叔母からは冷たく精神病院でもなんでもいったらと言われたり、変なお祓いのとこに連れてかれたりしました。

最終的にはハローワークにつれてかれてあとは歩いて帰ってきなといわれました。ハローワークからばちゃん家は40キロくらいあって、なんとか歩いて帰ったものの内心嫌な気分でした。家にかえってもその怒りのやり場をどこに向けていいかわからずいっぱいいっぱいになった僕はばあちゃん家を飛び出しました。

あてもなく飛び出た僕は、ひたすら歩きました。落ちてるものひろったり、パチンコ屋で拾いコインすればホームレスでも生きていけるだろうと本気で思ってました。むしろ人間関係につかれた僕はそっちのほうがいい気がしていました。

そうやって歩いていた僕ですが、途中からやっぱり頼るところは実家だと思い、夜通し100キロ以上を歩いて実家にたどりつきました。帰ってきたときは最初はぎょっとされましたが、理由を説明すると家族もしぶしぶ納得してくれました。

そっからクロネコヤマトのアルバイトをすることになるのですが、いつものパターンで最初は頑張ってしゃかりきに働くのですが、そのペースが続かなくなってダメになります。程よく頑張るということができなくていつも全力でやってしまいます。そうやって嫌になってクロネコヤマトもほっぽりだしたのですが、その時に会社で使うお金のお釣りをもっていたので親も会社も怒ってました。

ほっぽりだしたきまずさで家には帰らずに友達のところにいきました。ちょうど一人暮らしをしていた友達がいたので、泊まらせてもらうことにしました。お金もぜんぜんなかったので友達に5000円貸してもらいました。その時は本当に食費にあてようと思ってたのですが、お金をもらった瞬間走ってパチンコ屋にむかってました。これにはさすがの僕も自分がおかしいと感じました。

そしたら母から携帯に電話がかかってきていて、あんたはギャンブル依存症だからなおさないかんといわれました。そして近くの駅で待ち合わせをしました。それから母親が知っていたギャンブル依存症治療の施設に向かいました。

そこでそこの施設のスタッフから僕が依存症であること、脳のアクセルとブレーキがおかしくなってギャンブルがとまらないということ、この施設ではその治療をしているということを教えてもらいました。施設に入るかどうかは一日考えて返事をすることになり、また友達のとこに僕は戻りました。

友達からはそんな施設にいったら缶詰生活で出られんくなるよ、やめておいたほうがいいと言われたりしましたが、なにか自分がおかしいと思ってた僕は絶対ここでパチンコをやめるという覚悟をもって施設への入所を決めるのでした。。。続く

まとめ

ギャンブル依存症克服体験談【まとめ】 - ギャンブル依存症克服、彰悟のブログ

ギャンブル依存症克服体験談をもとに会話ベースで小説風に仕上げてみました。