ギャンブル依存症の治療の過程⑧実家編

三回目の入院はもう完全に常連といった感じでした。


スタッフも顔見知りで、入院患者にも知った人がちらほらいました。


三回目も病院の治療プログラムを三か月受けて退院となりました。


退院先は悩んでいたのですが、その時ちょうど好きなことでいきていくみたいな本を読んでいたので


前からずっと帰りたかった実家に帰ることにしました。


家族とのほとぼりもその頃には冷めていてなんとか実家に帰ることができました。


実家に帰ってからは、片道1時間半ぐらいをかけて病院のデイケアにかよいました。


しかしそれも無理しての行動だったので、1週間でいっぱいいっぱいになり、


交通費用の電子マネーを解約してお金にして、コンビニでお酒を飲みました。


母親は怒り、日々使えるお金はたばこ代のみとなりました。


たばこも一日何本と制限されていたので、日に日にストレスを増していきました。


そしてある日ストレスをマックスに抱えた僕は家で暴れだします。


自分の部屋にあるものをすべて母親の部屋に投げ出しました。


そして母親の向かって叫びだし、僕は覚えていないのですが母親の太ももを蹴ったそうです。


そして玄関で母親の髪の毛をつかみげんこつで殴ったあとに、家の門を足で破壊して飛び出しました。


そっから中心部の駅まで矢沢栄吉の止まらないha~haをうたいながら歩きだします。


靴を履くのも面倒になり途中で靴も捨てました。


そして駅につくともう夜中すぎてて、冬場に半そで半ズボンで寒かったので、駅の隅でくるまって寒さをしのいでいました。


こんなに苦しいのに道行く人は見て見ぬふりでなんて冷たい世の中なんだと思っていました。


そうしていると警察がきて僕は保護されました。


警察の人にも大声で叫んだりしました。警察の牢屋みたいな保護室にはいりました。


警察官が見えないところで精神病だから~なんていっている声もきこえました。


そうして何時間かたつと母親が身元を引き受けに来ました。


母親はなんもいわずに僕を実家まで送りました。


実家に帰ったその日はもうすでに興奮しきっているので寝れずに過ごしました。


そしてよくる日僕はなにか実家がいやな場所だと思い、ここにいちゃまずいと思い家を飛び出しました。


家族に対しても敵対視しており家族にばれないように抜け出しました。


そしてチャリをこぎだしました。最初はどこにいこうか悩んでいたのですが、


最終的には病院しかないと思って、長年かよっている病院にチャリをこいでいきました。


そして病院についた僕は、知っている掃除のおじさんに「助けてください」といいました。


これが4回目の入院になります。。。続く


まとめ

ギャンブル依存症克服体験談【まとめ】 - ギャンブル依存症克服、彰悟のブログ

ギャンブル依存症克服体験談をもとに会話ベースで小説風に仕上げてみました。