ギャンブル依存症の治療の過程⑬五回目のグループホーム編

沖縄から福岡に帰ってきた僕ですが、母親とも相談してもう一度入院したほうがいいとのことで入院しました。


入院は半年ほどして、その間相変わらず自助グループにいったり、入院患者と野球をしたりしていました。


そしてソーシャルワーカーの人にすすめられて地域のグループホームに見学に行きました。


そこの施設長の人が良い人ぽかったのでその日のうちに入居を決めました。


入居してからも変わらず病院のデイケアと自助グループに通いました。


しかし自助グループで薬の話などをきいていると、僕のなかでだんだんまた薬はなくていいんじゃないかという気持ちがわいてきました。


そして薬を飲まなくなりました。


案の定しばらくすると、眠れなくなる日が続きました。


そして夜中に同じ入居者の騒音にキレて、そのまま歩いて病院まで行きました。


夜勤の看護師に入院させてくれと頼みましたが、無理で、叫ぶように言っていったので警察を呼ばれました。


そして三人の警察官にパトカーに乗せられました。


そして警察署の保護室にしばらくいました。


ほどなくして親とグループホームのスタッフが来ました。


家かグループホームどっちにかえると言われたので実家を選びました。


家にかえっても体調は落ち着きませんでした。なので母が病院に無理言って休日に薬をもらいにいきました。


病院からグループホームが近かったので、土日はグループホームで様子をみようということになりました。


しかし次の日の朝ぼくは急に野球をしようと思い、いつも野球をしていたライングループに、


来れる人は来い、俺は一人でもやるとメッセージを打ち、雨の中、山の中のグラウンド目ざして自転車をこぎました。


グラウンドの入り口付近についた僕は、そこで力尽きてぶっ倒れました。顔面からおちてメガネも壊れました。


頭には病院、病院と幻聴が聞こえていました。


それでもなんとかグループホームにかえった僕ですが、次の日の朝にまたグループホームを飛び出します。


自転車に乗りながら唯一持っていた財布も投げ捨てて、一心不乱に自転車をこぎました。


途中まったく知らない土地で喉もカラカラになり動けなくなりました。


なのでなんとか起き上がり近くのファミレスで水をもらい親に電話してもらいました。


親に迎えに来てもらった僕はそのまま即入院となりました。。。続く


まとめ

ギャンブル依存症克服体験談【まとめ】 - ギャンブル依存症克服、彰悟のブログ

ギャンブル依存症克服体験談をもとに会話ベースで小説風に仕上げてみました。