ギャンブル依存症になるまで②高校編

 そうして、目押しもなんとかできるようになった僕は、一人でパチンコ屋のホールへ向かうようになりました。ネットのゲームで似たような台があった「南国娘」という台を打つようになりました。キュインとなったり蝶々が羽ばたいたら当たり確定といったシンプルなゲーム性で、その台で2万ほどかったりしてどんどんはまり込んでいきました。

 

その時はまだガソリンスタンドでバイトをしていたのですが、昼休憩にもパチンコ屋にいって、いい台がないかさがして打つという、はまりっぷりでした。

 

負けたり勝ったりしているなか、自転車で15分ぐらいしたところに大きなスロット専門店があることをしりました。

そこはケータイのサイトでデータを公開しているサイトで、そのデータを活用して打つ台を決めるなどしてだんだん勝つようになってきました。

 

土日に朝から行けば基本勝てるみたいな状態がつづき、余裕のあるお金が常に30万ぐらいある生活になってました。

そんなもんだからバイトも長続きせず、さぼりがちになり、やめました。

 

友達の矢部ちゃんやほかの友達との遊びでは、スロットかゲーセンが主になって、いっそうスロット漬けの高校生活になっていきました。

 

友達と打ちにいくと基本負けてたので、一緒に打っていた矢部ちゃんもお金がない状態が続き、僕ともう一人の友達でお金を貸して20万ぐらいになっていました。

 

高校生活はどうしていたかというと、休憩時間にトランプが流行って、大富豪やブラックジャックなどでお金をかけたりしていました。

 

ありがちですが最初は払えるぶんでやっていたのですが、だんだんツケにしてまとめて払う形になってきて、仲の良い友達が払えなくなって友達の輪から抜けて絶交するみたいなことも起きました。

 

さらにはトランプだけではあきたらず、ジュースを負けた人がおごるというジュースじゃんけんまではじまって、だんだんエスカレエートしていって、ジュースじゃんけんという名目で一回のじゃんけんで5000円とか賭けるという状況までなっていきました。

 

最初は100円ぐらいなんですが、負けた人がもう一回っていってさらにレートを挙げて、もう一回やってまた負けた人が~という繰り返しでした。

 

ですが当時はそれが最高に楽しくてやってました。

 

振り返って思うことですが、ここまでギャンブルにどっぷりつかった高校生活をおくってまともなその後の人生おくれるはずがないなとおもいました。。。続く

 

まとめ

ギャンブル依存症克服体験談【まとめ】 - ギャンブル依存症克服、彰悟のブログ

 

ギャンブル依存症克服体験談をもとに会話ベースで小説風に仕上げてみました。