ギャンブル依存症になるまで⑫実家編

救急車を呼ぶなどして母親と再開した僕は、その流れで再び実家に戻ることができました。

一人暮らしをしていたアパートはそのまま兄が住んでくれて、僕は実家に戻り実家の自営業の会社で再び働くことになりました。といってもうつ病がまだ完治してなかったので、働くのはとてもきつかったです。

会社に行く前に玄関で倒れて体が動かなくなることもありました。母親からは早く仕事にいきなさいとだけ言われて、僕のつらさを誰もわかってくれないと感じていました。仕事中にいっぱいいっぱいになって暴れるように荷物を運ぶ仕事をしていたら、癇癪起こしてといわれたりしました。

そんなんで実家の会社も逃げるように有給をとって退職しました。しかし借金もあったので、なにもせずに実家にいることはできず、次の働き先を探さなくちゃなりませんでした。

仕方なく求人紙を手に取った僕は、実家の近くにあった防熱などのウレタン材を吹きかけるウレタン会社に面接の電話をしました。その時にいつものクセで面接をバックレてしまいました。いざ面接となると行く気がなくなり、いかないというのを何度も繰り返してきました。

しかし、借金もあるので追い詰められた僕は、またウレタン会社に面接の電話をしました。そして面接にいった僕は、何食わぬ顔で面接をうけて、事務員の方にこないだ面接の電話しませんでしたか?と聞かれてもしてませんとウソをついていました。

面接はそこの社長さんが面接をしてくれて、その時にお前こないだ電話してきたやつやろと問い詰められて、ウソがばれました。僕の心が見透かされたような気とウソがばれたという怖さを感じました。それでも正直に話すとアルバイトとして僕を採用してくれました。

仕事には携帯が必要とのことで携帯を契約したのですが、すぐにお金に困って携帯をうってお金にしてしまいました。仕事の人には携帯が壊れたとウソをついて中古の携帯を買ってごまかしていました。

借金のことも隠していたので、このときはウソにウソを重ねる状態でした。その時その会社でモンストというのが流行っていたのですが、僕もやっていて裏技みたいなのをつかってたのですが、そのこともウソをついてごまかしていました。

日常的にウソをつきまくっていた僕にその会社の社員のひとから「君はとぼけるのうまいね」といわれてショックだったけど核心を突かれている気がしました。

それでもそれなりに仕事を頑張っていたので、1ケ月すぎたぐらいで社員にしてやるという話を社長からされました。社長は社員になるには免許がいるから会社からお金を出すから免許をとりにいくぞといわれました。

そして自動車学校にパンフレットをもらって金額を確認したあと、社長から「で、いくらだせるんや、まさか全部ださせる気じゃなかろうな」といわれ、借金のことを隠していた僕はなにもいえませんでした。

正直にいえばよかったのですが、当時そんな勇気もなく追い詰められた僕は、そのことをきっかけに次の日の早朝の仕事をばっくれました。当然家の連絡先もしられているので、家に帰るのは怖くてできなくて、路頭に迷うのでした。。。続く

まとめ

ギャンブル依存症克服体験談【まとめ】 - ギャンブル依存症克服、彰悟のブログ

ギャンブル依存症克服体験談をもとに会話ベースで小説風に仕上げてみました。