ギャンブル依存症になるまで⑬東京編

仕事をほっぽり出して、いくあてのなくなったぼくは、目的もなくとりあえずチャリをこぎました。次第に北九州にいって期間限定の工場で働こうと思いました。そこで働けば住むところは確保できるしなんとかなるかなと思いました。

そうして夜どおしでチャリをこいだ僕は、なんとか朝方には北九州付近までいくことができてそこにあったカプセルホテルで一泊しました。しかし携帯で検索してわかったことは、工場で働くには身元保証人が要るということでした。そうして工場を断念した僕はまたも途方にくれました。

お金もあと少ししかなかったので、いつものごとくパチンコで増やそうとしました。そこで運よく勝てた僕はいくらかのお金をゲットしました。本当に窮地に陥った時にパチンコに勝てるという悪運が僕がパチンコをやめられなかった原因の一つかもしれません。もしここでお金がなくなってたらどうなってたんだろうと考えることもありますが、変に生き延びないで、ここでお金がなくなってどうしようもなくなってたほうが僕の人生にとっては良かったのかもしれませんね。

そうしてお金をもった僕は、東京にいけばなんとかなるだろうという漠然とした考えで東京への新幹線の切符をかいます。もっと安い交通手段もあったのでしょうが、夜行バスは嫌だとかすぐに出発したいとか、このごに及んでもお金に無頓着で甘い考えをもっていました。

東京についた僕はもうすでにぜんぜんお金がありませんでした。住むところもないので、住み込みの仕事をさがしました。新聞配達というのがあったので電話をしてみることにしました。すると運よくその日に面接をしてくれました。

面接でまさかもうお金がないからその日からすましてくれと言う勇気もなくて、かといってその日どこかにとまるお金もない僕は、どうしようと困っていましたが、そこの店長が住むなら早いほうがいいやろとその日に部屋に住まわせてくれました。

そうやってなんとか命拾いした僕ですが、住み込みの仕事というだけあって仕事はやっぱりハードでした。特に僕は原付免許をもってたわけではなかったので自転車での配達でまじ無理やろこれというぐらいの量を配らされて、毎日ヒーヒーいってました。

そんな状態を続けれるわけもなく一か月すぎてお決まりの逃亡がはじまります。そのころに集金もやっていたのですが、さすがに集金したお金を持ち逃げする勇気はなく、給料から差し引かれている両替金ならいいだろうと、両替金をもって朝刊配達の時間の途中に逃げました。大きいことはビビりでできずに、小さいことなら許されるだろうとおもってやる自分の浅はかさがほどほど嫌になります。。。続く

まとめ

ギャンブル依存症克服体験談【まとめ】 - ギャンブル依存症克服、彰悟のブログ

ギャンブル依存症克服体験談をもとに会話ベースで小説風に仕上げてみました。